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2020年7月19日 (日)

熊本城と地質

日本の城ランキングで常に上位にある熊本城ですが、2016年4月の熊本地震で大きな被害を受けた後、特別公開第2弾が2020年6月1日から始まっています。
https://castle.kumamoto-guide.jp/grand-unveiling/ 第1弾の公開は、地震から3年半ぶりの2019年10月5日からのスタートでした。
ここに載せてあります写真は、今年の2020年2月に撮影したもので、第1弾の二の丸から入る見学ルートの写真になります。よって、新型コロナ感染の終息後に、特別公開第2弾の見学に行きたいと思っています。
特に、特別公開第2弾のルートでは、20年かかると言われている修復工事の途中を見ることができるので楽しみにしています。
熊本城は、通称京町台地先端の茶臼山という阿蘇火山の火砕流堆積物と火山灰が堆積した台地に立つ平山城です。つまり、地盤の強度が弱いところに築城されたお城です。地質は、約15万年前~約1万8000年前に爆発した阿蘇火山の火山活動によるものとされています。火山灰層の上部は腐食の集積した黒土層で、黒ボク土と呼ばれています。
そういうこともあって、昭和35年に再建された鉄筋コンクリート造りの大小の天守には、地下47mの深礎杭が打ち込まれているので、2016年4月の熊本地震での倒壊を免れたと言われています。木造の宇土櫓も耐震補強がされていたので、倒壊することはありませんでした。
石垣の大半は輝石安山岩で、近くにある金峰山から産出され運ばれてきたものと言われています。
大量の石を必要としていたので、他にも近隣の山からも運んできていたようです。崩れた石垣は元通りに積み上げる必要があるので、ナンバーを記入して修復まで保存されています。
今回の復旧工事では、石垣の積み直し工事に、震度7でも崩れない新補強材といわれるものが採用されています。石垣の裏込めの部分に、盛土と同じように段切りに栗石を敷き、ステンレス鋼と樹脂製の材料を組み合わせた「グリグリッド」で固定し、栗石の崩落を防ぐ手法がとられています。石垣の内部に栗石を敷き詰めるのは排水をよくするためですが、ステンレスの鋼を使用したグリグリッドは、地震が起きた時、石垣を内側から圧迫して崩落するのを防ぐ効果があります。
熊本城は文化財ですから昔ながらの伝統的工法で復元する必要がありますが、降雨によって緩んだ地盤に雨水が入ると石垣の崩落の危険が高まるので、今回の復元では、この工法が新たに採用されたようです。
石垣の復元工事中の風景も、第2弾の見学ルートから見ることができます。
石垣といえば、加藤清正が築いた熊本城の武者返しの石垣は有名ですが、1632年に細川忠利が肥後54万石の領主となって築いた急勾配の算木造りの石垣も防御を強固にする石垣として、この2つが比較されているので面白いです。
加藤清正が築いた石垣は、強度が弱い地盤ということを理解して崩れないゆるやかな石垣が築かれたと云われていますが、石垣の工法には変遷がありますので、違いを調べていく楽しみがあります。
また、瓦についても、鉄筋コンクリート造りの大天守、小天守は瓦が崩れて落ちているのに対して、木造の宇土櫓の瓦はなぜか崩落していません。これは瓦を設置する時の土葺きや漆喰の扱いの差なのでしょうか?それとも揺れを吸収する先人の知恵があったのでしょうか・・・。我が家の実家の瓦も土葺きで設置してあり、漆喰でズレるのを止めてありますが、それでも土が乾燥すると収縮するので、雨といに破片の土が流れて詰まったり、瓦がズレて困ることがあります。地震の時、建物を守るために、瓦が先に落下するように造られたという先人の知恵だという話も聞きますが、瓦と土の重さで、建物の方が先につぶれて下敷きになってしまうような気がします。こちらも真相を調べてみると、面白いと思います。
また、熊本城は、大阪城の巨石と比べて、比較的小さな石が使われていますが、運ぶのが大変だからか、工法の違いなのか、そんな大きな石なんか採れなかったのか・・・。興味は尽きませんね。
それから熊本市は、水道水源の100%を地下水で賄っているそうです。つまり、阿蘇火山の火山灰の堆積層からの水が恵の水になっているわけですね。熊本城には120もの井戸があったそうです。籠城しても水不足にはならないようにという考えがあったようですが、地質に恵まれていたといえるかもしれませんね。
下の写真は、坪井川から行幸坂を渡る時、最初に目にする馬具櫓台石垣の崩落の現場です。
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下の写真は城彩苑を取り囲む塀です。瓦から落下する水滴は、真下の砂利に落ち、排水溝へ流れる仕組みになっています。時々、土系舗装の現場で、砂利や単粒砕石が設置して場面に出くわすことがあります。土系舗装に直接雨だれが落下すると、表層に穴が開いたり、崩れたり、水があふれたりするので、水滴が落下する場所には、砂利や単粒砕石を敷き詰めて、排水のことを考えた設計をお願いしたいと思います。施工した翌日に雨が降ると、確実に土舗装には穴が開きます。
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長い法華坂を上ると、右手に未申櫓が見えます。周りの石垣は崩れたままです。
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二の丸広場から西大手櫓門に向かうと、左手に空堀が見えます。熊本城がある場所は、地質が火山灰の堆積層なので、簡単に人力でも掘ることができたと言われています。加藤清正にとって、この地質はラッキーだったと思います。
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やがて、国定重要文化財に指定されている木造の宇土櫓が左手に見えてきます。瓦の崩落はありませんが、宇土櫓と結合されていた続櫓は倒壊しています。
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さらに進むと、大小2つの天守が見えてきます。小天守の方は足場がかけられ、復旧工事の途中です。石垣の被災は小天守の方が大きかったようです。石垣の沈下で部分崩落がありました。
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見学ルートをさらに進むと、天守前広場に出ます。そこには足場が外され、瓦が拭き替えられたまばゆいばかりの大天守を見ることができます。
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再び二の丸公園に戻り、天守の方向を見ると、右側から大天守、宇土櫓、小天守を見ることができます。
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行幸坂放免に進むと、戌亥櫓台石垣の隅石部を残して中央部分が崩壊している悲惨な姿を右手に見ることができます。2003年に復元されたものです。
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行幸坂から熊本城北大手御門跡抜けると、加藤神社があります。
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加藤神社から眺める大天守、小天守になります。ここからの景色もインスタ映えする絶好の場所ですね。
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実は一番ここで書きたかったのは、城内に巡っている坂道と排水施設です。当時はセメントがない時代なので、土と石で工夫するしかありませんでした。まさに石垣や建物同様に先人の知恵が隠されているからです。
また機会があれば書いてみたいと思っています。
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