« 熊本城特別公開第2弾 | トップページ

2020年12月 9日 (水)

水城 土木技術

福岡の大野城市にある水城に行ってきました。
2-1
水城は日本が百済復興のために援軍を送った「白村江の戦い(663年)」に敗れ、唐・新羅の報復を恐れた日本は、664年に大きな土塁である水城を築きました。
国の役所である「大宰府」を守る必要があったからですね。その水城の土塁を見たいという願いが、今回実現したわけです。
この水城は、長さ約1.2km、基底部の幅は約80m、高さは約8m~14mあります。水城駅前の看板には高さ14mとありますが、展示解説シートには高さ8mと書かれているので、ここでは高さは8m~14mと、幅をもたせることにしました。
2-2
2-3
水城の上に上ることもできます。
2-4
水城に沿って散策路もあり、水城を外側から見ることができます。下の写真は博多側です。
2-5

2-6
実は、発掘調査によって、博多側に約60mの外濠、大宰府側に内濠が存在したことが判明しています。
しかし、今は想像することしかできませんが、下のコスモスが咲く当たりが外濠ですね。
2-7
この土塁の特徴は、下の説明板のように、上下二つに分かれています。とても分かり易く説明されています。
2-8
二つの段のそれぞれに積み上げた土が異なること、軟弱地盤を補強するために敷粗朶と呼ばれている樹木を敷き詰めていることが確認されており、ムクノキ、タブノキ、アワブキなど32種類が判明しています。
下の写真は、ムクノキですが、この枝葉をゆるい地盤を強化するために挟み込んだわけです。この枝葉は、水分が多い粘土の中で酸素に触れなかったため腐敗せず、良好な状態を保ったからと言われています。先人の知恵ですね。
1_20210108183601
実は、大阪狭山市にある人造池である狭山池は、616年頃の誕生と言われており、水城より約50年前に巨大なため池を造り、堤防に敷葉を使用していました。よって、水城に使用された敷粗朶と同じ敷葉工法が行われていましたので、当時の土木技術が国内の広い地域で使われていたのかもしれませんね。狭山池の敷葉は、ブナ科アラカシの枝葉といわれており、葉のついた木の枝を層状に敷き堤防が崩れないようにした最先端の技術だったそうです。アラカシは、いわゆるどんぐりの木で、下の写真がそうです。
2_20210108184701  
その堤防の構造の実物が大阪府立狭山池博物館に展示してあり、2015年12月に見てきました。
博物館は、安藤忠雄さんの設計なので、建築に興味がある人にもいいかもしれませんね。
大阪府立狭山博物館の展示の説明パネルに、1956年の伏見の大地震で狭山池の堤防が大きな被害を受けたとありました。
狭山湖の堤防は何度も改修を重ねて、今日も利用されており、堤防の高さ15.4m、幅62mだそうです。
驚きは、大阪の天王寺あたりまで、狭山池の水が利用されていたということです。

2-11
余談になりましたが、もう1つ水城の土塁で注目すべきなのが、上成土塁では、版築で固められているわけですが、固め方がすごいですね。版築といえば、普通は平行に粘土や真砂土を10㎝程度ずつ積み上げて締め固めるわけですが、ここの版築は「傾斜させた版築土層」なのです。版築の上部は意図的に土層を大宰府側に下るように傾斜がつけてあります。つまり、土塁の勾配が急な博多側の外壁が崩れるのを防ごうとしたわけですね。まさに先人の知恵ですね。
2-12  
この様子を実物大のレプリカでも見ることができます。
2-13  
土塁の復元やセメントを使わない土壌改良のお問合せは下までお願いします。
■ジオベストのお問合せは
ジオサプライ合同会社 http://www.geosupply.jp/
【電話】 広島082-299-2681 神戸078-843-2561 福岡092-518-3537 名古屋052-766-6419

 

 

 

« 熊本城特別公開第2弾 | トップページ

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 熊本城特別公開第2弾 | トップページ