中尾山古墳
中尾山古墳は、有名な高松塚古墳から約200mのところにあります。
幾度かの調査で判明していることは多いのですが、まだ復元などの整備はされておりません。
墳丘は3段築成で、1段目・2段目は石積みで、3段目は版築とされていますが、3段目は木材などで版築の上に化粧が施されていたかもしれないともいわれています。そして、墳丘周囲には三重の外周石敷が巡らされています。
この古墳は、八角墳であり、天皇陵であることは間違いなく、真の文武天皇陵であろうとされています。
文武天皇は、第42代天皇であり、草壁皇子を父とし、元明天皇と母として15歳で即位し、707年に25歳で崩御されています。功績としては、大宝律令を完成・施行、元号の制定、遣唐使の再開等があります。
そして、この古墳の石室は約90cm四方と狭く、水銀朱で塗られていたことも確認されています。その石室には、火葬骨を収める蔵骨器が設置されていたと考えられますので、これまでの天皇陵である牽牛子塚古墳などのご遺体をそのまま埋葬する方法とは異なり、火葬されていると考えられることなどから、古墳築造最終末期の古墳と考えられています。
道の下面には幅約100cm、深さ約20cmの暗渠排水溝が設けられていました。
古墳のそばには案内板も設置されていました。
中尾山古墳は律令国家を体現した天皇の古墳として、奈良県や明日香村などが登録をめざしているユネスコの世界文化遺産「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」の構成資産であるため、注目されています。
明日香村は面白いです。
弊社もさまざまな古墳の復元工事に携わっておりますが、興味がつきません。
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