狩留家
広島県の狩留家という町の名前ですが、すてきな名前だと思いました。広島駅から志和口・三次駅へ向かうJR芸備線の駅で、広島駅から約40分ぐらいです。この町に行くと、子供から大人まで挨拶をしてくれます。子供たちは、「こんにちは」「ただいま帰りました・・・」、大人も気軽に笑顔で迎えてくれるので恐縮して、こちらから声をかけるようになりました。それから遊休地に花を植えて有効活用されているのもいいですね。
狩留家という地名については、何かいわれがあるに違いないと思っていましたが、狩留家駅に「狩小川郷土史研究会」の方がパネルで説明をされていました。「ここは皇室のお狩場で鹿皮や肉などの供給、また戦闘訓練なども行われ、一般人は入ることができなかった。『狩場の留まる家』が由来のようである」・・・なるほど、狩をして留まる場所ってことだったのです。
狩留家には、太田川水系一級河川三篠川があります。この川を利用して物資の集積場として栄えた町で御本陣もあったようです。そこで駅前に建てられている「狩留家地区散策マップ」を見て、西八幡神社に行ってみました。
三篠川を挟んで向かい側にあります。
ここは建築様式が室町時代の特徴を有していることから「広島市重要有形文化財」に指定されています。実はNHKの朝ドラ「らんまん」でもこれから出てきますが、神仏分離令によって、主祭神に応神天皇、準祭神に仲哀天皇、神功皇后がお祀りされていますが、もともと御祭神は阿弥陀如来、脇立に観音菩薩、勢至菩薩が祀られていたようです。それに、この西八幡神社は、古城との関係も深く、築城の際、守護神として歓請された可能性が高いようです。
その古城というのが、琴平山城のことのようで、下の小高い山に立っていたお城のことです。
狩留家本陣黒川家は、狩留家駅前の旧道を上深川方面に少し歩くと右手にあります。藩主が狩猟などで狩留家に来たときの宿舎や休憩所として使われていたそうです。当時は住田屋と称していたようです。立派なお屋敷です。
三篠川では、多くの鮎が泳いでいました。
三篠川といえば、2018年の西日本豪雨で、狩留家でも豪雨災害がありました。川には数多くの流されてきたであろう大きな石を見ることができます。ようやく災害復旧工事も終わり、歴史と自然豊かな町がもどってきているような感じでした。
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