旅行・地域

2018年4月15日 (日)

斎場御嶽と参道

世界文化遺産「斎場御嶽」は、古来より男子禁制の祈りが捧げられてきた神聖な聖地です。

今回はその祈りの場である「斎場御嶽」の参道や排水溝を見てきました。

まず、「斎場御嶽」に入場するには、「緑の館」でマナービデオを視聴してからになります。「斎場御嶽」が神聖な場所であり、今も祈りを捧げられている多くの人々がおられることを知って、敬う心構えで見学することを教えていただきます。

2

御門口(ウジョウグチ)は、「斎場御嶽」の入口で、神社でいえば拝殿にあたる所です。坂道になっており、琉球石灰岩の石畳なので、滑り易く、滑り止めのシートが敷かれ、左側には土砂流失防止のための土嚢が積まれています。

元々は、国王巡拝に使用するため、2.7m程の幅広な琉球石灰岩を使用した階段だったそうですが、太平洋戦争中に陣地として使用したことや土砂崩れによる被害を受けて当時とは様相が異なっているそうです。

3

4

進んでいくと、参道の琉球石灰岩の石畳の両側にも土嚢が置かれるようになります。普通に考えると、土嚢がない時代は、雨が降ると、石畳の参道の両側は水ミチとなって、大量の土砂が流れたと思います。

5

土嚢がない場所は、石畳の両側は下のように、土の道になり、ところどころ雨水で掘れてきます。

6

また、石畳に降った雨水が両側の低いところに流れ、水ミチとなり、下方に向って流れます。

7

よって、坂道を下る雨水をコントロールするための集水枡が要所要所に造られています。琉球王国時代にも石畳の参道の下をくぐりぬける排水溝が存在したとパンフレットに書かれていますので、集水枡を結ぶ雨水管の役割をした排水溝が参道に沿って、または横断するように石畳の下に造られていたと思われます。

8

9

集水枡の周りは、ジャーガルもしくは島尻マージといった現地土を使用した土舗装がされています。どちらも粘土質に富む粒子が細かい風化土なので、土舗装に使用するには一工夫が必要です。

10

下の写真は三庫理(サングーイ)入口です。

11

下の写真は、三庫理(サングーイ)前の排水溝です。参拝をされる方が泥濘で足を取られないように石畳の下を排水溝が通してあります。

12

琉球王国時代にも発掘調査で、下のような三庫理(サングーイ)前の排水溝が見つかっており、当時から安全にお参りができるよう工夫されていたことがわかります。

13

出典:沖縄市県南城市発行斎場御嶽パンフレットより

三角形の突き当たりが三庫理(サングーイ)です。三角形の空間を抜けると、ここから「神の島」と呼ばれる久高島を見ることができます。神秘的てす。

14

15

3_2

◆ジオベストのお問い合わせは、
ジオサプライ合同会社 
http://www.geosupply.jp/

広島(082299-0681  神戸(078843-2561  名古屋(052766-6419 福岡(092518-3537まで。

2018年4月12日 (木)

首里城復元工事

久々の首里城でした。今回は、どうしても見たいものがあり、そのために行ってきました。

1

首里城へは弁財天堂側からから向いました。下の写真が弁財天堂ですが、外国からの観光客が多かったです。

2

下の写真の城郭石積みは、「布積み」と言われる石積みの方法で造られています。沖縄のグスクは、日本のお城より200年以上前から築かれてきたと言われています。

3

そして、沖縄の城郭石積みに特徴的なのが「角がしら」です。天に向かっている石積みは本土にはありませんね。

Photo

下の写真は、かつては通用門として女性が使用していた久慶門です。

Photo_2

下の守礼門をくぐって、歓会門へ向います。

Photo_3

通路の石畳も、城壁同様にほとんどが琉球石灰岩です。首里城がなぜ琉球石灰岩が多いかというと、数十万年前に海底から隆起した泥岩の上に琉球石灰岩が乗ったところに首里城があるからですね。そして、琉球石灰岩は加工が容易だったことが多用される理由の1つです。

Photo_4

そして、下の歓会門をくぐり、

7

瑞泉門を抜け、

Photo_5

漏刻門を抜けると、

Photo_6

奉神門にたどり着けます。

Photo_7

そして、ここから中に入ると、首里城正殿を見ることができます。御庭には、敷き瓦といって、タイル状のものが敷かれています。「クチャ」という粘土質の土で、鉄分の多い泥を素焼きにした赤瓦がありますが、同じものでしょうか?ご存知の人はおられませんか?

Photo_8

実は、今回の訪問目的は、首里城正殿ではなく、正殿裏の御内原美福門周辺工事の完成を見ることでした。係りの人の説明では、本来は28年度工事で完成してるはずの工事が遅れていて、公開が遅れているとのことでした。今は完成し、公開されているので、今度こそしっかり見てきたいと思っています。

Photo_9

◆ジオベストのお問い合わせは、
ジオサプライ合同会社 http://www.geosupply.jp/

広島(082299-0681  神戸(078843-2561  名古屋(052766-6419 福岡(092518-3537まで。

2018年4月 5日 (木)

五代友厚のお墓と墓園の土舗装

現在、「幕末維新150年」が開催されていますので、その関係から近代大阪経済の父と言われ、明治時代、大阪の復興に尽力した五代友厚のお墓を紹介します。阿倍野区民センターの隣の大阪市設南霊園に五代友厚のお墓があります。最寄り駅は、地下鉄谷町線の阿倍野駅で、下車徒歩約2分です。

1

そして、下の写真が五代友厚顕彰碑です。

その内容は、「五代友厚氏は鹿児島生まれ。長崎の海軍伝習所に学び、上海に遣いした後欧州に渡り、諸国の新知識に接して帰朝。維新政府の参与に任ぜられ、外国事務局判事、大阪府判事等を歴任。外交内政に広く貢献した。
明治二年官を辞して大阪に居を定め、各地鉱山の開発、藍の精製、金銀分析所、活版所、貿易会社、鉄道会社、商船会社等多くの事業を興した。また社会公共にあっつても、明治十一年大阪商法会議所を設立。初代会頭として商工業界を指導したほか、造幣寮、米商会所、株式取引所、大阪商業講習所の創立に尽力した。
明治十八年九月二十五日、借しくも五十才にして病没したが、卓越した先見性と豪放、高潔の人柄をもって、よく大阪経済を衰微の極から救い、後の発展の礎を築いた功績は不滅の光彩に輝く。
ここに氏の生誕百五十年、没後百年を記念し、その偉業を顕彰する。」

・・・・・とあります。

2

お墓ではありませんが、北浜にある大阪証券取引所の前に五代友厚の銅像があります。ほかにも大阪商工会議所前にもありますね。五代は初代会頭でした。大阪市立大学も設立したことから2015年に大阪市立大学の構内に銅像が建てられています。ほかに大阪には銅像が2箇所あるので、大阪には全部で5箇所あるということになります。

3

4

最後に墓園の土舗装のご紹介です。下の墓地は大阪府下にあるジオベストで施工された市営の墓園です。3年かけて整備されました。土舗装をされた1番の目的は雑草対策です。ジオベストの防草メカニズムは、養分(窒素・リン・カリウム)の不溶化にあります。そして、長期的に防草が維持できることです。雨でもぬかるむことがなく土で整備された墓園は、自然の風合いとともに、安心してお参りできます。

5

3_2

◆ジオベストのお問い合わせは、
ジオサプライ合同会社 
http://www.geosupply.jp/

広島(082299-0681  神戸(078843-2561  名古屋(052766-6419 福岡(092518-3537まで。



2016年5月22日 (日)

長浜城と太閤井戸と土舗装

長浜城は、秀吉がはじめて築城したお城ですが、秀吉と同じ視線で琵琶湖を見てみたい、石田三成と秀吉が会った観音寺とはどんなところだろうと興味を抱きつつ長浜を訪ねてきました。長浜城は大坂の陣のあと取り崩され、現在の城は1983年に復元されたもので、歴史博物館となっています。

Photo

よって、長浜城の痕跡はというと、僅かな石垣と太閤井戸が残るのみとなっていますが、この太閤井戸の100m沖合では1819年に発生した文政近江地震で水没したものとみられる建物跡の水中遺構が見つかっており、今後とも興味が尽きない長浜城周辺となっております。下の写真は、太閤井戸の石碑であり、水中に建っておりますが、実際の井戸はもっと沖合にあったそうです。ということはお城の敷地は琵琶湖内に張り出していたことになります。

1

豊公園は長浜城を中心に整備され、緑豊かな公園で市民の憩いの場となっております。園内を散策すると、園路はアスファルトかコンクリート舗装が中心で一部は真砂土のままで、土舗装はありませんでした。でも、土舗装がされてなくても風情のあるいい公園です。

この園路には両サイドにきっちりと側溝が整備してあり、水ハケはいいので、歩くのにいい状態が保てる道になっています。

1_2

1_3

■ジオベストのお問合せは

ジオサプライ合同会社 http://www.geosupply.jp/

広島082-299-0681 神戸078-843-2561 名古屋052-766-6419 福岡092-518-3537

その他のカテゴリー