土舗装

2023年4月22日 (土)

福山城のライトアップ

今、福山は「ももクロ春の一大事2023」が4/22-4/23に開催されるので4/21から交通規制がスタートしています。以前関わっていた呉市100周年記念コンサート「a-nation」では、エイベックスの多くのアーチストが来広され、大騒ぎになりましたが、「ももクロ」の場合はどうなるのでしょうか?
それとは関係がなく、福山城は築城400年で石垣のライトアップがされています。
照明デザイナーの石井幹子さんの監修ということで、見てきました。日没から午前0時まで点灯されています。桜は散り始めていて、葉桜になりつつありますが、それはそれできれいに輝いています。
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福山城は、築城400年を記念して大規模な改修工事が行われました。1619年に水野勝成が築城したもので、当時は北側壁面には鉄板が張り付けてあったことはよく知られています。よって、築城400年記念事業で復元されました。
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特に有名なのが、福山城伏見櫓です。水野勝成の福山城築城にあたって、将軍徳川秀忠が伏見城の一部を移築させたものと言われています。現存する最古の櫓のひとつと言われています。熊本城の宇土櫓も国の重要文化財に指定されていますね。
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こうしてお城巡りをするのは、石垣や坂道、もちろんお城そのものや歴史、こうしたライトアップなどを見ることにありますが、一方で土系舗装を見るために訪れています。弊社の販売する酸化マグネシウム系固化材「ジオベスト」は、セメントを一切使用してない環境にやさしい固化材です。
■ジオベストのお問い合わせは、
ジオサプライ合同会社 広島082-299-0681 神戸078-843-2561 名古屋052-766-6419
福岡092-518-3537へ。
もしくはジオサプライのホームページよりお問い合わせください。 

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2022年10月 2日 (日)

日本一の里山黒川を守ろう!

「陸の豊かさを守ろう」というのがSDGs15の目標です。
ところで、「里山」ってどんな山だと思いますか?
のどかな自然がいっぱいの身近に山がある田舎のイメージでしょうか。日本の原風景という感じ。
違ってはおりませんが、わかりやすくいうと、その山は、自然のまま樹木が育っている自然の山ではなく、人の手が加わった人工的な山(二次林)のことです。昔の生活は、燃料に山の木や枝を燃やして煮たり焼いたり、お風呂に入ったりしており、山は身近な存在でした。山と共存していました。しかし、燃料がガスや電気に代わってからは山の手入れはほとんどされなくなってしまいました。いわゆる放置林です。よって、植生も変わってしまいました。
しかし、いまでもちゃんと昔のように手入れがされており、山が利用されているところがあります。それが兵庫県川西市黒川です。
黒川は能勢電鉄で妙見口から徒歩又はバスで行きます。下の地図は現地の案内看板から借用しました。
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黒川は、里山林の台場クヌギを焼き、菊炭を生産していることでよく知られています。今では今西さん1軒だけになりましたが、下の写真の菊炭が毎年作られています。つまり、今でも山との共存関係があります。
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この台場クヌギを育てて、炭焼きをするまでに8~10年かかります。よって、紅葉の季節に行くとよくわかるのですが、台場クヌギ林を8~10分割して順番に切っていくために、山がパッチワーク状に分かれているのを見ることができます。これを輪伐といいます。つまり、伐採、更新、雑草・雑木の伐採を繰り返して手入れをしているわけですね。この手入れがないとうまく再生できません。この手入れには多くのボランティアの皆さんに支えられています。下の写真は黒川の照葉樹林と里山林の違いがわかる場所ですが、秋になると照葉樹林は自然林のままなので、里山林とは、はっきりと色によって識別できます。多くの山が放置されているのに対して、黒川では茶道用の菊炭として需要があったので、今日まで里山林を維持することが出来たわけですね。もちろん、ご支援をしていただく多くのボランティアや関係者の皆さんのご協力があってこそなので、そのご尽力にも感謝したいと思います。
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台場クヌギは下の写真のような形をしています。これは地上から1~2mのところで伐採して切り株から新しい芽をださせる萌芽という方法です。この切り株を土台にして成長するので、台場クヌギと呼ばれているわけですね。
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麓の畑のそばにも台場クヌギは下の写真のように並んで植えられています。
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この台場クヌギにはオオクワガタ、ヒラタクワガタなどが樹液を吸いにやってきます。
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黒川駅からは妙見森ケーブルがあり、春にはソメイヨシノ以外に天然記念物に指定されているエドヒガンを見ることができます。エドヒガンは兵庫県の絶滅危惧種に指定されている珍しいサクラ属の樹木です。
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桜の咲く4月ではないので、咲いている姿をここでお見せ出来ないのが残念ですが、是非訪れてください。
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また、里道を散策していくと、シャガの群生やサルトリイバラ、ヤマツツジ、ノアザミなど、季節ごとにさまざまな植物を見ることができます。
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タテハチョウの幼虫も見ることができました。
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弊社の販売するジオベストは、下の写真の世界遺産小笠原諸島で植生回復事業や登山道の土の流失防止や修復に利用されています。固化材であるジオベストのみを持参すれば現場の土と混ぜて固めることができます。植生を回復させることで陸の豊かさを守っていきましょう。ジオベストは酸化マグネシウムを主成分とした環境にやさしい固化材です。
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2022年7月31日 (日)

美しい八丁浜海水浴場を未来に残したい!

下の写真は、京丹後市にある関西屈指のきれいな海水浴場の一つ「八丁浜海水浴場」です。
ちょうど今が海水浴シーズンの真っ最中なので、海大好きな多くの子供たちが集まってきていると思います。
京丹後市は、SDGs(持続可能な開発目標)の達成に向けて優れた取組を提案する都市として、令和3年5月21日付けで「SDGs未来都市」に選定されました。未来の子供たちに、海洋ごみのない「きれいな海」を残していく取り組みは、SDGsの目標14になります。
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これほど透明度の高い海はなかなか見られません。遠浅のきれいな海水浴場です。
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併設されている八丁浜シーサイドパークの緑もきれいです。ここには、多目的芝生広場、ちびっこ広場があり、子供たちが遊べる遊具もあります。
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きれいな海を未来に残すということは、持続可能な地球環境保護や地域経済に大きな役割を果たすことになります。いま、海は大量のプラスチックごみで海の生態系が変わってきています。
京丹後市では、海の漂着ゴミからSDGsを学ぼうといったさまざまな取り組みがされています。
実は、大気中の二酸化炭素は地球温暖化だけではなく、海の酸性化を引き起こしています。海の酸性化は小さなプランクトンを溶かしたり、サンゴや貝の成長に必要な炭酸カルシウムを作れなくしてしまいます。きれいな海を残すということは、海洋ゴミをなくすだけでなく、地球環境問題全体の取り組みでもあります。

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2022年7月19日 (火)

吉野ヶ里遺跡と土

吉野ケ里遺跡は、教科書にも登場する佐賀県にある弥生時代の遺跡を復元した国の特別史跡に指定されている環壕集落跡です。この遺跡が復元され一部が開園されたのが平成13年4月からになります。縄文時代は移動しながらの狩猟や採取がメインの生活でしたが、稲作をするようになり、集団で定住生活をするようになった弥生時代の姿を見ることが出来る公園です。
竪穴住居に宿泊や火起こし体験などもできる学習型公園として、子供から大人までが楽しめる施設になっています。
是非、公園を訪れて、自分なりに古代に興味を膨らませてください。
JR吉野ケ里公園駅から歩いて約11分です。
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現在、吉野ケ里遺跡では、10年ぶりに発掘調査が始まっております。このエリアは、日吉神社跡地で「謎のエリア」と呼ばれている場所です。今後、有力者の墓などが見つかる可能性もあるということなので楽しみですね。実は、吉野ケ里公園内の写真を並べて紹介しようと思いましたが、この公園のことはネットを開けば大抵のことは知ることができるので、ここでは自分で思うことを自分なりに書いていくことにしました。

 

●縄文時代から弥生時代へ
縄文時代と弥生時代の区分は、縄文時代は狩猟・採取が中心で、弥生時代は米作りが生活の中心になり、集落ができました。最近の科学では、縄文時代は狩猟・採取が中心で農耕は弥生時代になってから発展したといわれていましたが、熊本大学が米につく虫であるコクゾウムシの圧痕を北海道の縄文土器から発見し、縄文時代からすでにツルマメ等の植物を栽培し、貯蔵する文化が生まれていたのではないかと発表しました。つまり、育てる文化はすでに縄文時代からあったということになります。稲作が発展したのは、もちろん弥生時代に違いはありませんが、根底には縄文時代から栽培をするという文化が育まれていたことになり、今後、縄文時代に対する考え方が見直されるかもしれませんね。
「推定500匹のコクゾウムシが練り込まれた土器を発見」(熊本大学)

また、能登半島には、縄文時代に4000年も続く長期定住型集落遺跡「国指定遺跡真脇遺跡」が見つかっており、生活環境が良ければ、狩猟や栽培で住居を移動しなくてもすんでいたということが取り上げられていました。つまり、この地域には、漁業という恵まれた資源があったので、集落をつくって、縄文時代にはすでに定住生活をすでにしていたということになります。移動しながらの生活か定住生活かだけでは縄文・弥生を判断できなくなっているという一例になります。
「真脇遺跡」(ほっと石川旅ねっと)

 

●竪穴住居の土葺屋根
吉野ヶ里歴史公園には、多くの竪穴住居や物見櫓などがあります。タイトルにもありますように、私にとって、一番の関心事は「土」をどのような形で利用していたかということになります。
一般的に多くの竪穴住居の復元は、茅葺屋根で行われていますが、ほかの地域の遺跡では樹皮や土で覆われたものもあります。吉野ヶ里歴史公園の竪穴住居も茅葺屋根で復元されています。
全国の竪穴住居の焼失住居の炭化材調査で自然科学的な分析を行うと、屋根材に何が使われていたかが年代とともに樹種がわかるそうです。その炭化材調査の結果では、茅は出土量が少なく、実は土葺(土屋根)の住居が主流だったとの見方もあります。
縄文人の家、「茅葺き」から「土屋根」へ 研究30年の成果(産経新聞)

上記によると、茅葺屋根は登呂遺跡などで復元された際に採用され、他の地域の竪穴住居の復元でも登呂遺跡の茅葺屋根に追随したので、多く遺跡が茅葺屋根になったと言われています。つまり、当時は屋根の素材が分かっていなかったから「茅」になっただけで、本当は土屋根が多かった可能性が高いようです。これは竪穴住居の焼失住居跡調査の成果だそうです。
土屋根の土は固めるとひび割れで水が浸入するので、固めないで柔らかいまま屋根に乗せていたようです。土で覆われれば、土は当然ズレて落ちるので、雑草を生やしていました。土は雨が浸透するので樹皮等を下地に敷き詰めての防水対策や、屋根勾配も茅葺屋根に比べて緩やかにしていました。
実際に榛名山二ッ岳の大噴火で埋まっていた群馬県渋川市の中筋遺跡では、勾配の緩い屋根はかなり低く、茅葺きの屋根には土がのせられていたそうです。実際に復元してみると、低い屋根は作業を行うのに有利であり、土を葺くことで断熱効果も高いことがわかったそうです。竪穴住居の復元案としては登呂よりもずっと説得力があるようです。(国立歴史民俗博物館)

 

●竪穴住居の壁や床
竪穴住居の床は地面より掘り下げて整地します。吉野ヶ里歴史公園の竪穴住居は、結構深く掘られています。全国にはこうした深い床も多く存在します。深い方が暖かく、住みやすいと思いますが、湿気はすごいと思います。特に、吉野ヶ里歴史公園の竪穴住居では煮炊きした痕跡が見つかっていないようなので、炉に火がなければカビ対策はどのようにして防いだのでしょうか?
稲作の場所から近いところに住居を構えれば地下水位も高くなるし、深く掘ればそれだけこうした湿気のリスクも高くなるような気がします。
屋根から落下した雨水は地面に浸透し、水は毛管現象で竪穴住居の中に浸透してきます。粘性土を壁に塗り付けただけでは対策にならないと思います。当時は十分な道具がない中で、竪穴住居を造ったわけで、土質の知識がないと、長く住む住居は出来なかったように思われます。
住居内には、床より10㎝程度高いところに寝間を見ることができます。壁面は壁塗りを重ねたか、版築のように締固めて水の浸入を防いでいたか、また、周囲を板や丸太で覆って土壁が崩れるのを防いでいたのかもしれませんね。また、大水の時の流入もありうるので、排水溝も必要だったと思います。
現代であれば、掘るための重機も固めるためのセメントや石灰といった材料があるので、竪穴住居は簡単に造れると思いますが、吉野ケ里遺跡ぐらいの規模になると、のちの土師氏のような技術者集団がいた可能性もありますね。

 

●壕
環壕集落周りには軍事施設としての二重の壕がありますが、掘って出てきた土を盛土して土塁が造られ、その上に柵を造ったと思われます。当時は簡単に崩れないように木の枝や土を交互に重ねながら積み上げて強固にしたのか、異なる土を重ねて版築のように締め固めたのか、土台に石積みを設置して崩れないように基礎を置いていたのか・・・材料や重機がない時代にどうやって土を利用して環壕集落を造ったのか今後調べてみたいと思います。

 

自然のものを利用して、約1万年続いた縄文時代、その後の弥生時代には、循環型社会のお手本になることがたくさんあります。サスティナビリティの実現を目指して取り組んでいきましょう。

 

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2021年6月 1日 (火)

天橋立と地下水位

コロナ禍なので、どうしても行かなければならない仕事でない限り遠方へはなかなか行けません。
よって、ひたすら自粛の毎日を続けています。
本日のブログは、そんなわけで今年2021年の始めに立ち寄った天橋立の古いお話になります。
最近、地下水位が高い場所に行くことが多く、よく地下水位と土系舗装についてのブログを書いていますので、今回のテーマも地下水位です。
地下水位が高いと、毛管現象で地中の水を吸い上げるので、いつまでたっても土系舗装が乾かないことから、土系舗装が固まらないという症状が起きることがあります。
天橋立の場合、地下水位の問題といえば、松並木がある場所の地下水位が高いがゆえに、松が枯れるということが起きています。
つまり、この場所は、地下水位が高いので、松は苦労しなくても水を吸い上げることができ根を張らないことから、強い風が吹くと、下の写真のように大きく傾いてしまうわけですね。
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よって、歩く道も土壌が水を吸い上げるために、気のせいかちょっと濡れている感じがします。                                                             

こういう場所で土系舗装をする場合は、表層の下に吸い上げている水を遮断するための層を設けることが必要になります。

さらに台風になると松は倒れてしまうので、後継の松があちこちで育てられ、後継松が植えられています。

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また、天橋立の現代の課題といえば、河川から流出する土砂が減少しており、砂浜がやせてきているということがあります。よって、砂を逃げないように食い止めるために、下の写真のように、扇状の潜堤が多く設けられており、遠くから見ると、ノコギリの歯のような印象を受けます。でも龍のイメージがあるのでギザギザも悪くはありません。
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この日はその後、天橋立ビューランドへモノレールで上り、天橋立の全景写真を撮りました。あいにくと曇っていましたが、天橋立が天に舞う龍のように見えると例えられるように、いい眺めでした。
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また、この日は、上手側に堆積した砂を下手側に移動させるための工事がされていました。天橋立を維持するためには、いろんな苦労があると思いますが、それらを見ることが出来、大変貴重でした。

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下の写真は、智恩寺です。日本三文殊の1つだそうです。
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智恩寺の前の通りは、風情のある石畳の街並みが印象的でした。
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ジオベストは土壌を固めたり、雑草が抑制できる固化材です。

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